白河楽翁公
- 公は徳川八代将軍吉宗公の御孫にあたり、御父は国学者として名高い田安宗武卿であります。吉宗公の創立された将軍家世継ぎの為の御三卿の一、田安家の御生まれで、将軍になるべきお家柄であります。
- 十七才の時、奥州白河城主松平越中守定邦公の養子に定められ、十九才で峯子姫と結婚し、二十六才で城主となられました。その時、東北地方大飢饉の折りでしたが非常な御苦心の下に善政をしかれ、一人の餓死者も出さぬという立派な政治をなされました。
- 三十才の時十一代将軍家斉公を補佐するため老中となり「寛政の改革」とよばれる立派な政治を成し遂げました。その後、白河に戻られ四十四才の時、南湖公園を創立されました。
- 五十五才で隠居、楽翁と号し江戸築地浴恩園に移居せられ、政治、経済、文学など各般にわたる著書を多数残されました。
文政十二年五月十三日 没 七十二歳
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